Enoshima Baby!!
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■ web連載小説 江ノ島ベイビィ● 第0回

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 大学以前に、話を、いったん戻そう。私には幼なじみがいた。男だ。隣の家に住む、年の離れた兄貴的存在であり、彼の部屋は私の部屋の真向かいにあって、私は窓から窓へと移ってちょくちょく彼の部屋に遊びに行っていた。今となっては煙草の火を押し付けて燃やしてしまいたい恥ずかしい思い出だ。江ノ島の島内にある民家と民家の間は狭い。そういう危険も十代の頃には冒せた。今は無理だ。たかが一メートル強でも二階の高さを飛び移るなど、怖くてとても出来ない。年をとったと思う。
 年上の幼なじみは、やがて彼氏になった。煙草を覚えたのは彼の部屋……ではない。彼は煙草を最後まで吸わなかった。今はどうだか知らない。彼はもう、私の目の届く所では暮らしていない。彼の部屋には今、誰も住んでいなかった。
 押さえない三弦をハジいてみる。ヘッドフォンからはクリーンな弦の音が聞こえる。ピックを持ったままの手の腹で、あぐらをかいていた右腿の横に置いていたブラッドオレンジ色の箱の上面を叩いた。石けん箱程度の大きさの鉄の箱だ。音を歪める魔法の箱だ。私が叩いた場所は足で踏めるように頑丈に作られたスイッチだった。
 ディストーションがかかり、弦の響きがザラつき尖った雑音の奔流になる。目立ってほしくない余計なノイズも入っているが、それは調整とノイズゲートをかますことで切ればいい。
 三弦を弾く。DIST……。
 ただ、街で弾く時には機材が増えて面倒かもしれない。
 アンプのボリュームを調整しようと顔を向けると、ラッキーストライクと目が合った。
 四弦を弾く。BOTTOM、GAIN……。
 なぜ煙草を吸い始めたかと言えば、体に悪い、肺がんになる、などとテレビのニュースだか情報番組だかで報じられていたからだ。肺がんになりたかった訳でも、体を悪くしたかった訳でもない。好奇心だった。体に悪く、肺がんになるような問題商品が、どうして自販機で売っているのか。いったいどんなものなのか。疑問を解決するための、自発的な学習意欲からの行動だった。そうして買った初めての煙草はフィリップモリスだった。
 夜の闇が訪れ、人の少なくなった鎌倉高校前の浜辺で人目をはばかりながら、こっそりと一本を吸ってみた。何か重たい感じが胸の中に落ちてきて、度胸がついたような気が少ししたが、吸ったからと言って、すぐに体が悪くなったり死んだりするようなものでもないような気がした。もう少し吸ってみれば何かが掴めるかもと思い、それから十二年、二十五の今まで吸い続けてきた。禁煙などした事がなかったから、辛いと言えば、今、辛い。
 酒を呑み始めたのは、キチンと法的に問題のない年齢に達してからだった。強い酒が好きだ。酒に強くはないけど、酒は好きだ。
 ギターは……いつからだったかな? 中学だったか高校だったかとにかく制服を着ていた頃で、隣家の幼なじみがやっていたから始めた。
 歌い始めたのは大学に行ってからだ。隣家の幼なじみの元彼とやっていたバンドで、女が歌った方が華があるとかなんとかで二曲ぐらい任されて、それ以来歌い続けている。そのバンドはもう解散した。

 同情と言う言葉が、哀れみとか優越感とか、実質、そう言った意味を指し示すものであるのなら、私が山崎葉月に会ったその日、彼女に対して感じたものは同情ではなかった。
 同じ、感情、と言う、賢しいだけの大学生がもてあそんで得意になっていそうな言葉遊び的な意味でとらえても、あっているようでいて、何か違うような気がしないでもない。他人の感情は勿論、自分の感情だって、本当は誰も分かってはいないのだと、この所の私は良く思っている。分からないもの同士を比べて、同じか違うかと言っても、答えは永遠に出ない。



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