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■ web連載小説 江ノ島ベイビィ● 第6回

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6 『Junior Sweet その3』

 ソファに腰掛けながら歌っていたみささんは、やがて、歌いながらパンツと着替えを手にしてその奥にバスルームがあると思しきドアの方へと向かった。
 ドアを開ける頃には歌が変わっていたような気がする。
「……あンたと私、ここら辺りが重力均衡点……」
 十五の女子高生として、人並みぐらいには流行のJ-POPを押さえているし、ここ一ヶ月と二十日ほどはテレビとネットに漬かる日々だったので、もしかしたら一般の十五の女子高生よりは多少、マニアックな方向へ足を踏み入れているかもしれないボクだけれど、みささんの歌っている歌には全く聞き覚えがなかった。
 最も、先ほどのみささんの言葉によれば、ボクとみささんは十も違って世代が違うから、みささんの世代で流行った歌を歌われてしまっているのだったら、ボクにはもうどうしようもない。どうにかする必要がそもそもあるのかと言うと、全くないから、別にいいと言えばいいのだけど。
 それを言ったら、ミッシェルにしても、ボクが中一の時に解散しているバンドで過去と言えば過去だ。ちょうど音楽を聴くようになり始めた頃にハマった音楽と言うのは、後々まで脳に影を色濃く落とすもので、だからボクの頭の中で、音楽の好き嫌いは、ミッシェルが基準になっているような所があると思う。アニメとかゲームのオタクの人たちが、三十代までになっても、アニメの曲っぼいか否かと言う基準で音楽の好き嫌いを判断しているのも、きっと大体おんなじ理由で、アニメばかり見ているから、そのフレーズとかアレンジとかリズムとかボーカリストの声質とか歌い方が脳の奥の方に刷り込まれているのだ。しかし、アニメやゲームの世界にも当然、ハヤリスタリはあるわけだから、上の方の世代の人たちが『最近のアニメソングはケシカラン』と愚痴を零してボクたちには何がケシカランのか良く分からずに戸惑う事になるのだけど、それは同じ脳内システムで行われる流行のJ-POP非難と変わる事がないと思えば、要するに狭い範囲の中でしか暮らしてない上に時代にもついていけてないって事が分かって、なんだか可哀想な気もする。
 ドアの奥へ入ったみささんが「パンツと着替え、置いとくわよ」と言った声が聞こえた。
 くぐもっているのは、ドアを閉めているからだ。ボクは開いた鉄道ファンのページを眺めていたけれど、記事を真剣に読んでいた訳ではなくて、「あぁ、いっそこのまま東北にでも行っちゃおうかなぁ」などとぼんやり思っている意識を、みささんの声の方に向けていた。
 やがて、ドアが開く音がして、みささんがソファの方へ戻って来る。
 ソファには、コンビニの袋がまだ置かれていて、中身はボクの分のパンツだ。「パンツ代、渡した方がいいのかな?」と、思い当たったけれど、すぐに「何も言わなかったらそのまんまブッチ切ろう」と決めた。なにぶん、家出している身。余計なお金は使いたくない。
「返事ねぇなぁ、雪野の奴……」
 苦笑いしながら、みささんがソファに腰を下ろす。
「……寝てるとか。シャワーの音、止んでますし」
「風呂ん中で?」
「はい……」
 昨日からの徹夜で疲れていて、自分の方が眠りそうだったから出て来た推測だけど、あながち的外れな推測でもないのではないかと思えた。実際、疲れてる時には良くある事だ。ボクはやった事はないけど、中学の頃、美樹が……。
 ……美樹の事を考えるのは止めよう。鬱になる。
 気持ちをリセットして、リテイク。
 湯船の中で寝てしまうのは、実際、疲れている時には良くある事だ。ボクはやった事ないけど。
 いつシャワーの音が止んだのか、湯船に浸かるような音がしたのか、良くわからない。とにかく、シャワールームの方からは瑞夫とがしていない。みささんの歌の方に気を取られていたのもあるとは思うけれど、要するにやっぱり疲労から来る緩い眠気で集中力が落ちているのだと思う。
「ま、あと少しして出て来なかったら、様子見てみるか……」
 浴槽の中で溺れ死ぬとかそういう事を考えていない投げやりさで、みささんはそう言ったけれど、さっきパンツと着替えを届けに行った本人が言うのだから、きっと大丈夫なのだろう。
 みささんはまた、ミニコミ紙に手を伸ばし、それを開きかけて止め、テーブルの上に戻した。
 ボクは鉄道ファンのページの上に眠い目を落としている。
「……山崎さんはさぁ」
 みささんが言った。
 その言葉の調子に、「あ、来た」と思った。
「はい」
 目を上げずに、返事する。
「えーっと……」
 する事もなくなって、会話に詰まって、気まずい無言が朝もやのように周囲に立ちこめた時、多くの人は質問で空いた間を埋めようとする。
 創立記念日。
 頭の中に、さっき用意した答えをセットして、確実にそう言えるようリピート。そうりつきねんび、そうりつきねんび。そーりつきねんび。
 創立記念日。
「創立記念日?」
 思いっきり先回りされた。
「あ、はぁ……まぁ……」
「それともサボり?」
「あ、はい。そうです」
 顔を上げて素直に答えてしまって、少し経ってから、ふと気付く。
 しまった。
 ついうっかり答えてしまった。
 フェイントだったのか……。
 みささんはニヤリと笑って、閉じた口のままで笑った。
「んふ」
 ひでぇ、と思ったけれど怒る気にはなれなかった。怒る気にはなれなかったけれど、代わりに拗ねてみた。



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